2014年6月30日月曜日

二つの時間 その2

 テーマ、二つの時間の最終回です。
 

 今回は、それぞれの人がもっている時間の感覚についての実験をしてみました。実験の方法は、一人ずつ、自分がちょうどいいと思うテンポで、机をたたきます。そして、時計を使って、10回たたくのにかかった時間を計ります。

 この実験でわかることは、それぞれの人のもつテンポが、早めか遅めかということです。机を10回たたくのにかかる時間は、普通、4秒から9秒だそうです。かかった時間が4秒に近ければ、その人のテンポは早め、9秒に近かったり、それより長かったら、ゆっくりめということになります。

 実験の結果、男の子も女の子も8秒、アリー塾長は9秒でした!

アリー塾長      :    ここにいる3人は、みんなテンポはゆっくりめの、のんびり屋さんってこ
                  とになるね。
                  本当かな?みんな、いつも何かをやるときはゆっくりめ?

男の子         :    ぼくは、給食を食べるのがいつも遅いから、ゆっくりめかもしれない。

アリー塾長      :    そう。○○くんはのんびり屋さんなのかな?
                  クラスにほかにものんびり屋さんはいる?

男の子         :    いる!Nくん。Nくんは、いつも何かをやるのが遅い。マイペースだ!

女の子         :    ああ、Nくん、マイペースだね。

アリー塾長      :     マイペースかあ。

* 「マイペース」、この言葉こそ、それぞれの人がもつ、一種の心の時間のことをあらわしています。

 今回は、二人の作文がそれぞれすばらしかったので、一部を手直しして、ほぼ全文を掲載します。

* 男の子の作文

 自分が時計を使って十回たたくのにかかった時間は八秒でした。四秒に近かったり、それよりも短い場合は早口でしゃべり、せっかちな人だということがわかります。ぎゃくに九秒に近かったり、それよりも長い場合はゆっくり話し、のんびり屋だということが分かります。
 
 

 ぼくは八秒だったので、のんびり屋だということが分かりました。きゅう食を食べるのは時間ぎりぎりで、食べ終わるのが少しすぎてしまうことがほとんどです。それは心の時間が長いということかもしれません。少しマイペースだからおそくなってしまうのかもしれません。
 

 ぼくはのんびり屋もいいなと思いました。やることがおちついてできるからです。でも、人のことを考えるのも大切だなと思います。のんびり屋でもいつも人のことを考えられるようにしたいです。

* 女の子の作文

(実験の結果では、女の子ものんびり屋だということになりました。)

 (前略)でも、わたしは、のんびりかと思ったら、先生には、「しゃべるのがはやすぎ。」と言われたり、お母さんには、「おちつきがない。」と言われて、やっぱりせっかちなのかなと思いました。

 わたしは、「しゃべるのがはやすぎ。」と言われたときに、「自分ではゆっくりしゃべっているのに。」と思いました。あと、お母さんに「おちつきがない。」と言われて、自分では「おちついているのにな。」と思いました。

 わたしは、先生のテンポはおそいなと思いました。せっかちでもいいなと思いました。だって、はやくおわれば、いろいろなことができるからです。

アリー塾長の一言

 今回の作文は、二人とも本当によく書けています。とくに女の子。ついに自分の意見を作文に書くことができました!これまでの彼女の作文には、ほかの人のことや、客観的な意見しか書かれていませんでしたが、今回ついに、自分自身の考えを書くことができました。

 そうです。先生やお母さんがなんと言っても、「せっかちでもいい」んです!「だって、はやくおわれば、いろいろなことができる」んですから。先生やお母さんがそれでも「ダメ!」と言ったら、お互い納得のいくまで話し合えばいいのです。きっと妥協できるところが見つかるはずです。

 女の子は、顔を赤くして、決死の覚悟で今回の作文を書きました。彼女にとって、自分の気持ちや思い、考えを書くことは簡単なことではなかったのだと思います。

 さて、男の子の作文です。こちらにも、しっかり自分の考えが書かれています。本当に、「のんびり屋もいい」よねえ。いろいろなことを味わって楽しむには、ゆっくりのほうがいいことがたくさんあるからねえ。もっとも、彼には、まわりのことを配慮する余裕もあります。ひとのことを考えながら、のんびりを楽しむのでしょう。

 男の子の作文は、多少の手直しをしましたが、これで全文です。指示通り、三段落の構成で書かれていて、序論・本論・結論の形をとっています。ここにきて、ついに作文(論文)の形式も整ってきました。

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2014年6月12日木曜日

文化と多様性


毎年この季節になると、手持ちのリバティプリントで、ブラウスを仕立ててもらいます。仕立ててもらうと言っても、仮縫いもしない簡単なやり方なので、布さえ持っていれば、既製品を一着買うくらいの値段です。リバティプリントは軽くて涼しくて、真夏の外出着に最適です。私のささやかなぜいたくの一つなのです。

 リバティプリントとは、イギリスのリバティ百貨店がつくっている、小花柄で有名なコットンの布です。日本でも人気が高く、今年も、リバティプリントをつかったブラウスやタンクトップが、一般のお店で売られているのを見かけました。

 私はずいぶん昔に、このリバティプリントの販売員だったことがあり、そのときに買ったものがたくさんありました。それを毎年少しずつ仕立ててもらってきたのです。プリントの在庫は年々減り、新しいものが欲しくなりました。

 リバティプリントは日本でも手には入るのですが、種類は多くない。いっそロンドンの本店で買おうと、何年か前に、本当に久しぶりでロンドンに行きました。

 
 実はその年ロンドンに行ったのには、もう一つ目的がありました。それは、イギリス製の美しい絵本を買うことでした。イギリス製の絵本は美しい!その昔、初めてロンドンに行ったときに感動したことの一つが、本屋さんにおかれている絵本の美しさでした。

 当時私は、ポップアップ絵本や、切り抜いて工作をするようになっているものなど、何冊か買って帰りました。イギリスの絵本はとにかく美しかったのです。毒々しい原色は一切つかわれておらず、微妙な中間色で、細密に自然や動物が描写されていて、上品な素朴さがありました。

 イギリスの絵本の美しさは、小花という自然を写したリバティプリントの美しさと通じるものがあります。リバティプリントは、19世紀の画家であり、デザイナーでもあったウィリアム・モリスのデザインを原点としている伝統的なものです。有名なピーターラビットの例をあげるまでもなく、上品で繊細な自然描写はイギリス文化に特有のものだと言えるでしょう。

 ところが、久しぶりのロンドンで、何件の本屋さんを探しても、私の求めているような本はありませんでした。かろうじて、ピーターラビットの本がある程度で、私の言う、上品で繊細な自然描写がなされている絵本は、ほかにまったくないのです。子ども向けの絵本と言えば、単色でべったりと塗りつぶされた、ディズニーアニメのような絵のものばかりなのです。

 日本に帰ってから、近くの子どもの本の専門店の方に伺ったところ、イギリスでは、ここ20年の間に、たくさんの出版社が倒産したそうです。出版関係の規制が廃止されるか緩和されるかしたため、経営が成り立たなくなった小さな出版社が続出し、大資本の出版社に席巻された。その結果、イギリスらしい美しい絵本はなくなり、ディズニーアニメのような絵本ばかりになってしまったというのです。

 肝心のリバティプリントですが、リバティのロンドン本店にも、かつてのような独特な美しさをもったものはあまりありませんでした。こちらも伝統の継承が難しくなっているのでしょうか?

 私は、ディズニーアニメが悪いと言っているのではありません。ディズニーアニメにも、感動的なすばらしい作品がたくさんあります。それから、初めてディズニーランドに行ったときの、驚きと感動は今でもおぼえています。アメリカ文化が悪いわけではないのです。

 アメリカ文化が悪いのではなく、美しい絵本という、イギリス文化が駆逐されてしまったことが問題なのです。多様な文化が共存し、選択肢が多ければ多いほど、世界は豊かになります。文化が多様であれば、世界は寛容になります。それぞれの個性は尊重されるばかりでなく、ときには珍重されます。

 生物の世界を見ればわかるように、「多様性」は、生き残りのためのすぐれた戦術であるはずです。人間は賢いのですから、種としての生き残りのためにも、多様性を拡大していきたいものです。
個人的には、美しいイギリスの絵本の復活を心から願います。
 
 

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