2016年9月18日日曜日

学びと感情

 高校一年生のTくんが、「懐かしいという気持ちがわからない」と言いました。主人公が、何十年ぶりかで、故郷を訪ねたという文章を読んでいたときのことです。その主人公にとって故郷は、よいことも悪いこともあったところです。

 「主人公の気持ちは複雑だね。そこで起こったよくないことを思い出して嫌な気分になったり、反対に楽しかったことを思い出して懐かしくなったり…。Tくんは昔のことを思い出して、懐かしくなったりすることない?」と私は聞きました。

 すると、「…ありません。」とTくんは答えました。

 たしかに、高校一年生のTくんは、たかだか十数年生きてきたに過ぎません。多くのことを経験しているはずもなく、昔と言ってもせいぜいここ十年間くらいのことで、これと言った思い出がないと言われれば、そういうものかとも思います。Tくんの何倍も生きている私とはわけが違うのです。

 ですが、少し気になるのは、「子どものころ、こんな遊びをして楽しかったとか、どこかへ行って楽しかったとか、そんな思い出もないの?」と尋ねても、「特にありません。」とTくんが答えたことです。

 「懐かしい」を辞書で引くと、「昔のことが思い出されて、心がひかれる。」(大辞林)とあります。「懐かしい」とは、「心」が感じることなのです。心が感じる感情、「懐かしい」という心の動き、つまり「懐かしい」は感動の一つなのです。

 そういえば、Tくんは、日ごろ自分の感情をおもてに出すほうではありません。表情もあまり豊かとは言えず、今、Tくんがどういう気持ちなのかを推し量るのは簡単ではありません。笑った顔を見せたこともほとんどなく、もしかしたらTくんは、自分の感情を制御しながら、毎日を合理的に暮らしているのかしら?と思ってしまうことがあります。そんなTくんはまだ、楽しそうに文章を読んでくれたことがありません。

 実は私は、楽に学ぶためには、感情を味方につけるのが一番いいのではないかと思っています。なぜかと言うと、本来の学びには感情がともなうものだと考えているからです。

 「いったいこれはどういうことなんだ!」ととまどったときに、だれかからそのことについての説明を受けたり、自分で調べたりして納得し、「そうか、そうだったのか!」と軽く興奮したことはないでしょうか?その興奮が感動です。新しい知識をえて、心が動いたのです。普段あまり意識はしないかもしれませんが、学びにはたしかに感情がともなうのです。

 しかもその感情は、決してネガティブなものではありません。「知って、うれしい!」という喜びの感情です。うれしければ学びたいと思います。知ること、学ぶこと自体がおもしろくなります。そのような経験を積み重ねると、あらゆることへの興味がどんどんわいてきて、学ぶことが楽しくなるのです。

 勉強はやらなければならないもの、という意識でやっている子どもは多いと思います。入りたい学校に入るためには勉強しなければならない、本当はやりたくないけれど、しかたないからがんばっている、そんな子どもはたくさんいるでしょう。でも、そんな気持ちで学んで、「知って、うれしい」という感動はえられるのでしょうか?

 「今の時代、学校に入れなければ話にならない。」と言った人がいました。その言葉が本当かどうか私にはわかりません。けれども、そのような意識で勉強したとしたら、「知って、うれしい」という感動をえられるどころか、学びが苦痛になってしまわないでしょうか?

 学校に入るために勉強していて「うれしい」という気持ちになれるのは、成績が上がったときなどでしょう。ですが、そのような喜びは一時的なもので、すぐまた次の試験に備えなければなりません。次から次へと追われることになります。いつも試験に追われていては、気の休まるときがないのではないでしょうか?

 要は、学び自体を目的にすることではないかと思います。学校に入ることを目的とはしないで、学ぶこと自体を目的として、学ぶこと自体を楽しむとよいのではないでしょうか?学ぶこと自体を楽しんだ結果として、成績も上がる、それはあるでしょう。

 国語であれば、まず、文章を読むことを楽しむ、内容について考えることを楽しむ、そして、自分の意見をまとめ、それを書くことを楽しむ、それができたときに、学びにともなう感動がえられ、同時に実力がつくのです。教室でも、「文章を読むことが楽しい」と言えるようになった生徒はめざましい成果を出します。

 人間にとって感情は、非常に大切な要素です。Tくんのように、自分の感情をおさえつつ、大きな成果を出すことは実はとても難しいことなのです。それよりも、自分の感情に正直に向き合い、今自分がどんな気持ちなのかと常に自分自身に尋ねてあげるとよいでしょう。感情は、その人がおかれている状況や、その人にとって、まわりの人がどうであるかということなどを伝えてくれる重要な指標なのです。

 ことは塾にとって、勉強することは、入りたい学校に入る方法ではありません。学ぶことは、それ自体を楽しむものです。学ぶことは目的なのです。そして学ぶときには、気持ちを本来のあり方にリセットして、それぞれの課題と向き合わなくてはなりません。気持ちが本来のあり方をしているとき、学ぶことは苦痛ではなく、喜びになるはずだからです。

 ときどき、受験勉強が負担になって気持ちが不安定になってしまったというお子さんの話を聞きます。そのような話を聞くにつけても、人間にとって、感情というものが何よりも大事なものだという意識をあらたにします。苦痛があるということは、どこかに無理があるということです。そのようなときには、心の状態に注目し、なによりも、まず気持ちを整えるという作業と時間が必要でしょう。

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2016年6月19日日曜日

五感で学ぼう、そして言葉にしよう!

 今年も夏休みが近づいてきました。夏は太陽のエネルギーも最大になります。そのエネルギーを体いっぱいにうけて、こころも体も大きく成長したいものです。ことは塾では、今年も夏休みに、体験型の授業をおこないます。

 体験授業の一つは、和菓子屋さんでの和菓子作り体験です。和菓子、特にお茶席で出される和菓子には、日本人のもてなしの精神や美意識などが凝縮されています。和菓子は日本文化を学ぶための、恰好の素材の一つです。

 そんな和菓子はいったいどのように作られるのでしょう?和菓子を作ることには、どんな工夫や苦労があるのでしょう?

 もう一つの体験は、牧場体験です。私たちが日常的に食べている食品は、塩以外、すべて生きていたものか、生きている動物が産出したものです。私たちが飲んだり食べたりしている牛乳やバターやチーズも、生きている牛や山羊などが出したものをもらっているのです。
 
 牧場では、いつもただおいしく食べているアイスクリームやバターを自分たちで作ってみることもできます。牛や羊などの動物とふれあい、牛乳を材料とした食べ物を作ってみることで、食べ物をとおして見えてくる、動物と私たちとのつながりについて考える機会をえることができます。

 和菓子作りも牧場体験も、新鮮な発見をともなった、楽しい経験となることでしょう。

 ところで、楽しい体験は、体験しただけで終わらせてしまってよいものでしょうか?せっかくの経験を、確かな記憶としてとどめておくために、できることはないのでしょうか?

 ハンナ・アーレントはこんなふうに言っています。

 リアリティは、事実や出来事の総体ではなく、それ以上のものである。リアリティはいかにしても
 確定できるものではない。「存在するものを語る(レゲイン・タ・エオンタ)」人が語るのは、つねに
 物語である。そしてこの物語のうちで個々の事実はその偶然性を失い、人間にとって理解可能な
 何らかの意味を獲得する。

 何かの経験を、自分が経験した確かな現実として受け容れ、意味のあるものとして記憶し、今後に生かしていくためには、その経験を物語にしなければなりません。物語るとは、すなわち言葉にすることです。経験を言葉にして語り、語ることによって、そこに意味を見出す、つまりそのようにしてそれを物語にすることによって、経験はリアリティを獲得するのです。

 物語となってリアリティを獲得した経験は、意味をもっているので、以後はそれぞれのこころの糧となって、長く生き続けることでしょう。

 さて、以上は経験を言葉にすることのちょっと難しい理論でした。ですが、方法はそんなに難しくはありません。要は、体験したことを言葉にして語ればよいのです。さらに、それを書けばよいのです。

 体験したことを文章にしてみると、頭の中が整理されて、いろいろなことがわかってきます。その体験が自分に教えてくれたこと、その体験の自分にとっての意味、そのほかさまざまなことがわかってきます。それらを書けばよいのです。そうすれば体験は、生きていくうえでも役に立つ、確かな経験として、記憶の中に定着します。

 和菓子はとても美しいです。和菓子は食べて舌で味わう前に、目でも楽しむことができます。反対に、牛や羊は臭いです。アイスクリームはとてもおいしいのに、生きものは臭うのです。体験をすると、このように五感を使うことになります。五感で学ぶことができるのです。

 五感で学んだあとは、それを言葉にしてみましょう。言葉にし、知的な反省をくわえることによって、体験は確かな経験として蓄積されていきます。

 ことは塾では、体験と、それを文章にしていくまでの講座をご用意しております。夏期特別講座へのご参加を、こころよりお待ちしております。

 * H・アーレント著、引田隆也・齋藤純一訳、『過去と未来の間』、みすず書房、
                                       1994年9月、357ページ。

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