2015年9月18日金曜日

悪とは無知のこと

*先日一人の生徒が、作文で、とても深遠な問題提起をしてくれました。悪とは無知であること、と言ったのはソクラテスです。ソクラテスの倫理を継承する、まさに哲学的なテーマの作文でした。

 次にあげるのは、生徒の作文の全文です(改行など、一部変更あり)。


 「ゴリラの正確な研究結果を広める」

 私は、ゴリラのことについて正確なことをみなさんに知ってほしいと思いました。いまから、なぜゴリラの研究結果が正確に広まったほうがいいのかを説明したいと思います。
 
 ゴリラは、ドラミングという動作をします。以前までは戦いを宣言し、相手をおどす動作とされていたそうです。そのことから、人々はゴリラをおそれるようになりました。凶暴だというゴリラのイメージを元にして、ゴリラを巨大にしたような怪じゅうの「キングコング」という映画まで、つくられたそうです。その映画のえいきょうで、人々は、ゴリラとは凶暴な生きものだと信じてしまったのです。

 おかげで多くのゴリラが殺されました。私はイメージだけで大切な命を殺すのは、絶対にやってはいけないと思います。なぜなら、正確に調べてたくさんの人と相談してから行ったことではないからです。

 みんなでゴリラについて一生けん命調べたら、殺すなんていう選択しはでなかったかもしれません。なので、ゴリラのことについて、正確に知ってほしいと思いました。

 私はゴリラについて正確な研究結果が広まればいいと思いました。そして、ゴリラの長所、気をつけたほうが良いところを、バランスよく頭の中で整理するといいと思いました。


* アリー塾長の一言

 とてもよく書けた作文だと思いました。何よりも、文章を貫く論理構成がしっかりしていて、流れがスムースです。自分の意見を述べるために、理由としてさまざまな事実をあげ、「だから、私はこう思う」ときちんと書けています。

 また、ゴリラが「キングコング」の「イメージ」をもたれて殺されたという事実をとらえ、「イメージ」と「正確な研究」という対立する構図を打ち出し、「正確な研究」の必要性を主張しているところもすばらしいです。

 さらに、「ゴリラの長所、気をつけたほうが良いところを、バランスよく頭の中で整理するといい」という意見は、客観的に課題に向き合い、公平かつ冷静に妥協点を見つけていくことの大切さを提案していて、とても理性的です。

 そして中でも一番感銘を受けたのは、この生徒が正確な知識をもつこと、つまり、学ぶこと、研究することの大切さをうったえていることです。悪とは無知であること、と言ったのはソクラテスですが、今回学んだゴリラの話は、まさにそのとおりのケースです。この生徒はそのことに気づいたのです。

 ところで、知識は大切だと言っても、やみくもにたくさんのことを知っていればいいというわけではありません。ましてや、単にたくさんの知識を頭に詰め込んで、試験のときに一気に吐き出せればいいというものでもありません。知識は考えるために必要なのです。考えて、よりよい行動をとるために必要なのです。だから、そのときの知識は正確なものでなければならないのです。

 ゴリラについて学んで、正確な知識をもっていたら、人間はゴリラを殺す必要などありませんでした。学ぶことを怠ったうえ、よく考えもしなかったから、人間はゴリラを殺すという最悪な行為をしてしまったのです。
 
 以前、「教養と寛容」というタイトルで、なぜ学ぶことが大切なのかということについて書いたことがあります。教養があれば、さまざまな立場の人のことを理解することができます。多くの知識があれば、一方的に誰かを攻撃するなどということはできなくなるはずなのです。

 「悪」と言えば、一般的には人を殺したり、物を盗んだりといったことを思い浮かべます。ですが、ソクラテスならこう言うかもしれません。「そのようなことをする人は、何かを知らないからそうするのだ。」と。問題を根本から解決する方法を知っていたら、悪いことをする必要はありません。悪いことをする人は、知るべきことを知らないからそんなことをするのです。

 ゴリラについての正確な知識があったら、人間がゴリラを殺さずにすんだのと同様に、真実を知っていたら、人間同士も争ったり戦ったりする必要はないのではないでしょうか。

 もちろん、すべてを簡単に知ることはできません。長い長い時間をかけて、深い森を踏みわけ踏みわけして前に進んでいくように、少しずつ、少しずつ、本当のことに近づいていくのです。誰が見ても知者であったソクラテスにして、「私は自分が何も知らないということを知っている(無知の知)。」と言っていたのですから。

 哲学(philosophy)の語源はギリシャ語で、知(sophy)を愛すること(philos)を意味します。知を愛し、知識を得るのは、よく考えて、よりよい行動をとるためです。つまり、よりよく生きるために、知識が必要なのです。学ぶことは、実はきわめて哲学的で、倫理的にも価値のあることなのです。

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