2017年8月19日土曜日

くろねこのどん

 私がおこなっている読書感想文講座のなかには、親子参加可能なものがあります。そこではときどき、本の読み方について、お母さんやお父さんから質問をされます。今年は、課題図書の一冊、『くろねこのどん』についてでした。

 『くろねこのどん』は、どこからともなく現れたくろねこと、えみちゃんという女の子との不思議な交流と別れが描かれたお話です。

 えみちゃんは小学校一年生です。まだまだ小さな女の子なのに、お母さんがお出かけをしてしまって、ときどき一人でおるす番をしています。その日もえみちゃんは一人でおるす番をしていました。そんなときやってきたのが、4本の足先と鼻先だけが白くって、ほかはまっ黒の子猫のどんでした。外は雨。えみちゃんはびしょぬれのどんのからだをふいてやります。

 そんなことがあってから、どんは、えみちゃんが一人でいるとやってきます。夜中に来ることもあります。ときにはなかまの猫たちをつれて、どんはえみちゃんのところに遊びに来ます。えみちゃんとどんは話をすることもできれば、ごっこ遊びをすることもできるのです。

 あるときえみちゃんとどんは、高い松の木に登って雲を呼びよせ、雲に乗って空を飛びます。なんてすてきな旅だったことでしょう。どんといっしょだと、夢でしか見ることができないことでもできてしまいます。えみちゃんとどんは、おたがい一人でちょっとさみしいとき、いっしょに遊ぶことのできるこの上ないなかまでした。

 季節がうつりかわり、どんは大きくなりました。人間のえみちゃんはまだまだ子どもです。えみちゃんはどんと遊びたいと思っているのに、どんはそうでもなさそうで、えみちゃんはちょっと不満です。えみちゃんは遊びに来なくなったどんを探します。でも、やっと見つけたと思ったら、「だめだよ、こっちにきちゃ」なんて、冷たく言われてしまいます。

 えみちゃんはどんのことが好きで、前のようにいっしょに遊びたいと思っているのに、どんはそうではないようです。えみちゃんは前とあんまり変わっていないのに、どんは変わってしまったのです。

 お話の最後で、えみちゃんは夢を見ます。どんと、前にいっしょにサーカスごっこをしたことのある三毛猫の結婚式の夢です。えみちゃんの夢の中で、どんは三毛猫と結婚したのです。えみちゃんは、「どん、おめでとう!」とやっとのことで言うことができました。どんはもう三毛猫といっしょだから、えみちゃんのところには遊びに来ないにちがいありません。……

 子どもがこの本を選んだお母さんは、私に言いました。「これは難しいですねえ。どうやって子どもに教えたらいいのかわかりません。」お母さんの解釈はこうです。「これは、子猫が成長してしまって、発情期をむかえたってことですよねえ。はっきり書かれてはいないけど、これはそういうことですよねえ。となりのみみにどんが乱暴するようになったから、どんが来れないようにしたっていうのはそういうことですよねえ。」

 お母さん、鋭いです。たしかにそのように読めます。人間と猫の成長のスピードはあまりに違うので、えみちゃんはまだ子どもなのに、どんは大人になってしまいました。猫と人間という種の違いをこえて仲のよい関係をきずいていたどんとえみちゃんは、種の違いではなく、成長の度合いの違いという違いによって、へだてられてしまったのです。

 この本を読む子どもたちには、えみちゃんとどんがなぜ別れなければならなかったのか、はっきりと理解することはできないでしょう。大人が読めば、あのお母さんのように、猫が大人になって、発情期をむかえて、子どもなんかと遊ばなくなったからだと説明することができるかもしれません。でも、発情期がなんだかわからない子どもには、大人になるということの意味もわかりません。そしてそれは、本の主人公のえみちゃんにとっても同じだったのです。

 えみちゃんはどんとの別れという変化を経験しなければなりませんでした。今まであんなに仲よくしていたどんとなぜ別れなければならないのか、えみちゃんにはよくわかりません。よくわからないけれど、どんがもう自分のところに来ないだろうということはわかります。えみちゃんはどんとの別れという変化を受けいれなければならないのです。

 この本を読んだら、どうしてえみちゃんはどんの結婚式の夢を見たかと考えてみるとよいかもしれません。えみちゃんは、どんの結婚式の夢を見なければいけなかったのです。どんと別れるのはしかたのないことだと、納得する必要があったのです。どんが自分と遊んでくれなくなったのは、三毛猫と結婚したからだと考えれば、納得できます。もうお相手がいるのだから、えみちゃんのことろになど来ないのは当然です。

 えみちゃんは、どんとの別れに、どんが結婚したからだという理由をつけました。えみちゃんの見たどんの結婚式という夢は、えみちゃんがどんとの別れの理由として、編み出したものです。そういう理由があるということにしたおかげで、やっとのことでしたが、えみちゃんはどんとの別れという変化を受けいれることができたのです。

 子どもといえども、生きていれば常に変化にさらされます。よい変化であれば積極的に受けいれることができますが、ちょっとさみしい変化など、なかなか受けいれがたいにちがいありません。そんなとき、子どもたちはその変化を受けいれるために想像をして創造的になります。えみちゃんの夢はそんな一例なのではないでしょうか。

 人生にいやおうなしに訪れる変化ですが、どんとえみちゃんの場合のように、変化の本当の理由を知ることにはそんなに大きな意味はないかもしれません。本当の理由を知ったところで、どうしようもないからです。それよりも、えみちゃんのように、自分が納得のできる理由を編み出したほうがよいでしょう。自分さえ納得できれば、踏みとどまらずに、また前へ歩いて行けるようになるからです。

 どんとは違って、えみちゃんのからだはなかなか大きくなりません。えみちゃんが大人になるまでにはまだまだ長い時間がかかります。ですが、どんとの出会いと別れをとおして、えみちゃんが学んだことはたくさんあるはずです。えみちゃんはそうして、ゆっくりゆっくり大人になっていくのです。

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読書感想文講座

 夏休みも終盤になりました。子どもたちはそろそろ、夏休みの宿題と格闘し始めているころなのではないでしょうか。

 今年も私は、夏休みの定番、読書感想文の指導を行っております。今回は、そのとき気づいたことについて書いてみたいと思います。

 感想文指導をしていて毎年感じることの一つに、子どもたちははたして、本当に自分に合った本を選んでいるのだろうかという疑問があります。昨年も一人、今年も一人いたのですが、話を聞いてみても、「(その本の中に)おもしろかったところなんかない。」、「感動したところなんかない。」あるいは、「どうしてそんな風に思うのか、主人公の気持ちがわからない。ぜんぜんわからない。」などと言われてしまいました。

 こんなとき、どういうアドバイスをしたらよいのでしょう。「もっとよく読んでごらん。きっとおもしろいところがあるよ。」、「よく読んでみれば、きっとわかるよ。」などと、あくまでもその本を読むことをすすめるべきでしょうか。

 感想文講座自体は時間が限られているうえ、ほかの生徒もいるので、そのような子どもたちの話をそれ以上詳しく聞くことはできませんでした。ですからこれは後から考えたことなのですが、私は、選んだ本がおもしろくない、あるいはわからないという子どもたちに、その本を無理に読んでもらう必要はないのではないかと考えます。

 あたりまえのことですが、子どもは一人一人興味や好みが違うし、同じ年であっても、精神的な成長の度合いが違います。一律に課題の図書をあたえても、それらが合う子と合わない子がいるのは当然です。

 もちろん、毎年選定される課題図書もそのあたりは工夫をしていて、学年に応じて、ファンタジーから、社会問題をふくんだ物語、ノンフィクションや科学的なものまで、いろいろ取り混ぜてあります。それぞれの子どもの興味と特性に合わせて、その中から課題の本を選ぶことができるのです。

 もっとも、すべての子どもが毎年課題図書の中から読む本を選ぶわけではありません。課題図書以外の中から自分が気に入った本を選ぶ子どももいます。そのような子どもはどのようにしてたくさんある本の中から、自分が読む本を決めるのでしょうか。そう言えば、私が子どもだったころ、読む本はどのようにして選んでいたのでしたっけ。記憶の糸をたぐってみます。

 私の場合、父が本好きで、家には常にたくさんの本があったということがあります。ですから、小学校も高学年になると、父の本などもときどき勝手に本だなの中から引っ張り出して読んでいました。そして、それと同時に児童書も読んでいました。学校の図書室から借りる本のほか、本好きの父が私たち子どものために買ってくる本も読みました。父の買ってきた本の中には、今でも手もとに置いてあるようなお気に入りのものもあります。

 このように、私が子どもだったころ、私のまわりには本がたくさんあって、私はたくさんの本に触れて成長しました。それら一冊一冊の本との出会いはすべて偶然です。偶然出会った数多くの本の中から、私は、好きな本、嫌いな本、興味のない本、などと選別していったように思います。結局、自分に合った本を見つけるのには、まず多くの本を手に取ってみないといけないのではないでしょうか。

 本を購入してから、合わないことがわかった場合、ちょっと困ってしまうかもしれません。もう一冊買いなおすのは経済的ではありません。ですので、あまり強くは言えないのですが、もしも選んだ本が自分に合っていないとわかった場合、できれば別の本を選びなおしてもらえればと思います。合わない本を読んで、よい感想などもてるはずがないからです。

 今年の講座で、「主人公の気持ちが全然わからない。」と言った子は、とても聡明で早熟な印象でした。選んだ本は、その子の学年にはおすすめの本だったのでしょう。でも、私が見た限りでは、その本はその子にはやさし過ぎました。その子は、もっと難しい状況や、複雑な心理が描写されているような本のほうが、むしろ理解できたのではないかと思うのです。

 よい読書感想文を書くためには、その本と対話しなければなりません。本が隠しもっている問いかけに気づいて、本と、あるいは主人公と対話をかさねて、その問いに対する答えを探していくのが本を読む醍醐味です。本を読みながら、書かれていることや主人公に共感したり、あるいは反発を感じたりすることでしょう。そうやって心を動かしながら、本を読んでいくことができたら、その読書はよい読書だということができるのです。

 気の合う人や気の合わない人がいるように、合う本もあれば合わない本もあります。感動を共有できる人がよい友だちになれるように、読んで共感できる本はその人にとってよい本です。よい友だちを探すように、よい本を探してみれば、きっと見つかることでしょう。

 さて、自分に合ったよい本だと思って読み始めた本でも、「あれっ?これはちょっとわからないな。」などと思うことが出てくることがあります。仲のよい友だちとでも、ときどき意見が食い違うのと同じです。そんなときは、簡単に賛成してしまわないで、その本や主人公のどこにひっかかったのか、よく考えてみてください。

 本に書かれていることに疑問をもったということは、その本や主人公と自分が違うということです。本や主人公の考えと自分の考えが同じではないということです。仲のよい友だちとでもときどき意見が合わないのと同じで、好きな本であっても、すべて同じ意見とは限らないのです。

 そんなときはチャンスです。徹底的にその本と対話して、自分と本や主人公の違いをはっきりさせましょう。自分とは違う本や主人公のおかげで、自分のことがわかります。自分はこんなとき、こういう考えをもつのだということがわかったり、自分はこういうことが好き、あるいは嫌いだということがわかったり、自分のことがたくさんわかります。

 読書感想文講座では、「本を読むと出会えるものがたくさんあるよ。」と言うことがあります。「どんなものに出会えると思う?」という質問に、子どもたちは、「登場人物!」、「作者!」、「行ったことのない世界!」などと答えてくれます。私は、「もっともっと重要な出会いがあるよ。」と言います。そしてけげんそうな子どもたちの顔を前にして、「本を読むと、自分自身に出会えるんだよ!」と自信満々に宣言します。

 読書経験はこのように、自分自身と出会うよい機会の一つです。自分がどういう考え方をし、どういうものを好み、あるいは嫌うのか。読書は、自分自身のことを知って、生き方を考えるよいチャンスなのです。よい対話相手、つまり、自分に合ったよい本を選ぶ必要があるのはそのためです。

 近年は、大人も子どもも活字離れをしていると言われています。ですが、本を読むという経験は、私たちの人間としての成長を約束してくれます。大人も子どもも、たくさんの本に触れてみてほしいと願います。

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