* 作文の書き方を学ぶために、同世代の子どもが新聞に投稿したじょうずな文章を読んでみました。
* その中の一つに、Jリーグのサッカーの試合で、試合の内容が気に入らないと、観客が選手にブーイングをするということについて書いてあるものがありました。投稿者は、選手たちは懸命にプレーしているのだから、ブーイングをすることには反対だと言っています。その投稿をめぐって、こんなやり取りがありました。
アリー塾長 : 私もブーイングはしないほうがいいと思うなあ。自分が選手で、ブーイング
されたら、やる気なくすもん。
Yくん : 別にブーイングはしてもいいよ。
Kくん : ブーイングはしてもいいと思います。へたなプレーしたやつが悪い!
Yくん : そうそう、うまくやらないやつが悪い!
アリー塾長 : ええーっ!?ほんとー?
Kくん : ほんと、ほんと、別にブーイングはしてもいいです。
アリー塾長 : ええーっ?だって、もし自分が選手だったらどうよ?ブーイングされたら嫌な
気持ちにならない?
Yくん : ならない、ならない。平気、平気。
アリー塾長 : ウソー!嫌な気持ちになるよ。一所懸命にやってるのにブーイングなんかさ
れたら、やる気なくなっちゃうよ。ブーイングされてやる気が出る?
Yくん : 出る、出る。ブーイングされたら、今度はブーイングされないようにやってや
るって思って必死にやる。だからブーイングはしてもいい!!
アリー塾長 : そうかなあ?
Yくん : そうだよー。
アリー塾長 : 私はそんなことできないなあ。ブーイングされたらガクッてなっちゃう。
Yくん : ぼくはならない。ブーイングされても平気。ブーイングされたら、なにくそって
がんばれる。
* アリー塾長の一言
Yくんは、もし自分がサッカーの選手で、自分のプレーに対して観客からブーイングをされたとしても平気だと言いました。ブーイングされたら、今度はブーイングされないぞ、と次には頑張ることができるので、ブーイングされるのはかえっていいことだとまで言いました。
Kくんも、ブーイングすることに反対ではないようです。みんなは選手に対して厳しいです。そのうえ自分に対しても厳しくて、ブーイングされたら、奮起すればよいと言います。みんなブーイングされても平気だと言います。本当でしょうか?
YくんやKくんが、ブーイングされても平気だと言うのは本心ではないと私は思います。でも、そう言わなければやっていられない事情があるのではないでしょうか。そしてそれは、私たち大人の責任なのではないかとも思うのです。
残念ながら、意外なことに、いつの時代でも子どもは強いプレッシャーにさらされています。大人が子どもに常に、「ああでなければいけない」、「こうでなければいけない」、と言い続けるからです。大人はもちろん、子どもの将来のことを思ってそう言うのです。ですが、「~でなければいけない」、「~しなければいけない」と言われ続けることほど、子どもの気力を奪うものはないのです。
フィギュアスケーターの伊藤みどりさんが言っていました。みどりさんがスランプに陥って、試合で結果を出すことができなくなっていた時には、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、トリプルアクセルが跳べなくなったそうです。
みどりさんはアルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得しました。現在のショートプログラムにあたる演技で、4位だったところから挽回しての結果でした。フリープログラムではトリプルアクセルに成功し、追い上げることができたのです。
その時みどりさんは、「どうしてもオリンピックでトリプルアクセルを跳びたい!」と思っていたそうです。「跳ばなきゃ」ではなく、「跳びたい!」と強く思ったそうです。そしてその結果、トリプルアクセルを跳ぶことができ、銀メダルに輝いたのです。
このエピソードは多くのことを示唆しています。子どもも、「やらなきゃ!」と言われたとたんに、本来できることもできなくなってしまうのではないでしょうか。人間は強制されてやるときにはよい結果を残すことができず、自分からやりたいと思ってやるときにはよい結果をだすことができるということです。
さて、それでは、たとえば子どもたちに「勉強したい!」と思ってもらうにはどうしたらよいのでしょう。「やらなきゃだめ!」と言うのはどうやら逆効果です。それから、「どうしてできないの!?」というような、ブーイングタイプの叱咤激励も子どもを委縮させます。そう言えば、「さて勉強しようかな。」と思っていると、お母さんに「宿題したの!?」と言われ、ガックリすると言っていた生徒もいました。
本当に本当に難しい問題です。よい答えがあったら知りたいです。強制にしても、ダメ出しにしても効果は低い。それなら、いっそ、その反対のことをしてみてはどうでしょう?
たとえば、その子のよいところをみつけて、ひたすらほめ続けてみるというのはどうでしょう?ひたすらひたすらその子を肯定する。ありのままのその子を受け容れる。それしかないように思います。強制は相手を支配することですし、ブーイングは相手や相手の行動を否定する行為です。支配や否定からよいものは何も生まれてきません。
大人がついつい子どもにダメ出しをしてしまうのは、決して子どもをダメにしようと思ってしているのではありません。それどころか、子どもの将来を考えて、よい人生を歩んでほしいと思うからダメ出しをしてしまうのです。そう思うと切なくなります。
大人が子どもにダメ出しをしてしまうのは、不安からなのではないでしょうか。あれもこれもできないとやっていけない、と思うからではないでしょうか。だったらその不安は必要ありません。なぜなら、どんな子どもも、それぞれすばらしい可能性と力を持って生まれてきているからです。
多くの子どもと接していて感じるのは、それぞれの子どもがいろいろな才能を持って生まれてきているなあということです。みんな、本当にすばらしい!みんながみんな同じことができなくてもよいのです。それぞれがそれぞれの才能を伸ばすことができたなら、子どもたちの将来は明るいと私は思うのです。
もちろんその才能をみつけるのは簡単なことではありません。ですが、一人一人の子どもとじっくり向き合ってみると、見えてくるものが必ずあります。その子自身を引き出す、それができたら、教育は実りあるものになるのではないかと私は信じています。
http://www.ko-to-ha.com/
「ことは塾」は、千葉県千葉市を拠点とした、対話型の国語(日本語)と作文の専門教室です。この未曾有の変化の時代に、自分で考え、意見を伝えられ、行動のできる人材を育てることを目的としています。このブログでは、実際のクラスで行われた対話の様子や、日ごろ気づいたことなどをつづっていきます。 日本人の母語である日本語は、日本文化特有の価値意識や思考形式そのものです。「ことは塾」は、その日本語をつかった「対話」によって、生徒の考えを引き出します。生徒は日本語の対話をとおして、自身の思考を深め、日本語で考え、日本語で表現していくことを学びます。 * 対話の中の「アリー塾長」は、ことは塾塾長もりいのニックネームです。
2015年8月13日木曜日
2015年8月8日土曜日
夏休み・和菓子作り体験
* 夏休みに和菓子作りの体験をしました。
寒天と砂糖を鍋に入れています。
緑色に着色したようかんを細く小さく切って、「金魚鉢」に入れる水草に見立てます。
赤いようかんを抜型で抜いて、金魚を作ります。
石に見立てたあずきを入れたり、ようかんの水草や金魚を入れるたびに少し寒天
液を入れて固めるという作業をくりかえします。
涼しげな 「金魚鉢」の完成です!
あんこの重さをを正確に計って、「朝顔」や「ひまわり」の中身にします。
「朝顔」と「ひまわり」です。よく見ると、それぞれ形が違います!
* アリー塾長の一言
夏休みにしかできない体験型の学習をしました。今年は和菓子屋さんで、和菓子作りの体験をさせてもらいました。
実際に和菓子を作ってみて、たくさんの気づきがありました。Kちゃんは、あんこは嫌いだったはずなのに、自分で作ったあんこのお菓子はおいしいと感じ、とても不思議に思いました。Mくんは、和菓子作りにはたくさんの工夫がされていることに気づき、そのことを作文に書きました。
Yくんの作文には、「面倒臭かった」という言葉が何度も出てきます。そして、面倒臭いということは、それだけ和菓子を作るのが大変なことなんだと気づいて、作文に、「和菓子を作る人たちは大きな努力で大変なことをやっている」と書きました。
実際に見たり聞いたり、何かを作ったりするような一次的・直接的な経験は五感を使うので、強く印象に残ります。そのような経験は、あとでいろいろなことについて考える際にも、大いに参考になる貴重な財産となるのです。
ことは塾では、そのような体験をしっかりと自分のものにするため、言葉にして語り合い、最後に作文にします。経験は言葉にすることによって、いつでも取り出せる知識として、心の中に保存できるのです。
文章を読むのは二次的・間接的な経験です。今回のような一次的・直接的な経験は、そのような二次的な経験を有意義なものにするためにも役立ちます。文章を読む際には、自分が実際に経験したことを参考にして読むとよくわかるからです。
今回、何組もの生徒たちを快く受け入れ、和菓子の作り方を丁寧におしえてくださった、あかね家さん(習志野市谷津)に心から感謝いたします。
http://www.ko-to-ha.com/
寒天と砂糖を鍋に入れています。
緑色に着色したようかんを細く小さく切って、「金魚鉢」に入れる水草に見立てます。
赤いようかんを抜型で抜いて、金魚を作ります。
石に見立てたあずきを入れたり、ようかんの水草や金魚を入れるたびに少し寒天
液を入れて固めるという作業をくりかえします。
涼しげな 「金魚鉢」の完成です!
あんこの重さをを正確に計って、「朝顔」や「ひまわり」の中身にします。
「朝顔」と「ひまわり」です。よく見ると、それぞれ形が違います!
* アリー塾長の一言
夏休みにしかできない体験型の学習をしました。今年は和菓子屋さんで、和菓子作りの体験をさせてもらいました。
実際に和菓子を作ってみて、たくさんの気づきがありました。Kちゃんは、あんこは嫌いだったはずなのに、自分で作ったあんこのお菓子はおいしいと感じ、とても不思議に思いました。Mくんは、和菓子作りにはたくさんの工夫がされていることに気づき、そのことを作文に書きました。
Yくんの作文には、「面倒臭かった」という言葉が何度も出てきます。そして、面倒臭いということは、それだけ和菓子を作るのが大変なことなんだと気づいて、作文に、「和菓子を作る人たちは大きな努力で大変なことをやっている」と書きました。
実際に見たり聞いたり、何かを作ったりするような一次的・直接的な経験は五感を使うので、強く印象に残ります。そのような経験は、あとでいろいろなことについて考える際にも、大いに参考になる貴重な財産となるのです。
ことは塾では、そのような体験をしっかりと自分のものにするため、言葉にして語り合い、最後に作文にします。経験は言葉にすることによって、いつでも取り出せる知識として、心の中に保存できるのです。
文章を読むのは二次的・間接的な経験です。今回のような一次的・直接的な経験は、そのような二次的な経験を有意義なものにするためにも役立ちます。文章を読む際には、自分が実際に経験したことを参考にして読むとよくわかるからです。
今回、何組もの生徒たちを快く受け入れ、和菓子の作り方を丁寧におしえてくださった、あかね家さん(習志野市谷津)に心から感謝いたします。
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