今年は宮沢賢治没後90年だそうです。私はその男の子に、「『銀河鉄道の夜』、読んでみる?」と言いました。
「あ、でもちょっと難しいかもしれないね」。『銀河鉄道の夜』は、対象年齢が小学五、六年生以上とされています。
「ぼく、読めるよ」とその子は言いました。
「ああ、そうだね。読めるかもしれないね。できるかできないか、私が決めることじゃないよね」と私は言いました。
子どもは個人差が大きいのです。『銀河鉄道の夜』が読めるかどうかは、その子次第なのです。
「あなたができるかできないか、私が決めちゃいけないのよね」自分に言い聞かせるように、もう一度私は言いました。
「先生はそんなことしません!」その子が言いました。
「先生は優しいから、そんなことしません」もう一度言われました。
そして、「先生が好きです」と「告白」されたのです。「どうもありがとう」、私はお礼を言いました。
「ぼくのこと、『できない』って言った人がいる」とその子は言います。「ぼくの目の前で言ったんですよ!」と力をこめて、何度も言います。その子の心はとても傷ついたようです。
大人が子どものことを「できない」と言うとき、いったい何が「できない」と言うのでしょう。私の目から見ると、子どもにはできることがたくさんあります。たしかに、それぞれできることは違っていて、その子によって、「これはできるけれど、あれはできない」ということはあります。でも、できることがあるのだから、それを伸ばしていけばよいのではないかと思うのです。
大人が子どものことを「できない」と言うのは、「この子は私が思うようにはできない」ということなのではないでしょうか。大人が、そうあるべきと思っている型に、その子がはまらないので、「この子はできない」と言うだけのことなのではないでしょうか。
以前「告白」してくれた女の子にも言われました。「先生は、『ああしなさい、こうしなさい、そうしなきゃダメ、ああしなきゃダメ』って言わないじゃない?」。そう言われればそうです。でも、そう言ってはいけないと思うから言わないのではありません。それより大事なことがあると思うから、それを優先しているのです。
子どもには、「できない」と言って無理にやらせるより、できることを探してそれを伸ばしたほうが効果があります。できることをやってもらっているうちに、なぜかできなかったこともできるようになってしまうことさえあります。「できない」と言って、まず子どもの心をくじいてしまわないことが大切なのではないでしょうか。