2025年8月30日土曜日

ハナクソ!

  Kちゃんが辞書をひいていて、「ハナクソ、って出てる!」と叫びました。妹のRちゃんも大騒ぎです。「ハナクソ、ハナクソ!」と二人で大笑いします。「ハナクソ、って出てた?ウンコもあるよ。」と私は挑発します。


 「ハナクソ」という言葉に出合ってしまうのは、紙の辞書をつかっているからです。辞書をペラペラとめくっていたら、たまたま「ハナクソ」と書かれているところに目がいってしまったのです。電子辞書やスマホではこうはいきません。


 私が、すくなくとも小学生のうちは紙の辞書をつかってもらいたいと言うのは、このような偶然の出合いがあるからです。言葉に偶然出合って、ボキャブラリーを豊かにしてもらいたいと思うからです。


 人生におけるさまざまな出合いが偶然であるように、言葉との出合いも偶然です。たまたま読んだ本で、たまたまその言葉と出合うのです。そして、出合いはたまたまだからおもしろい。


 言葉との、偶然の出合いをたくさんしてほしい。偶然の出合いをたくさんして、語彙を増やしてほしい。それが、私が紙の辞書をおすすめしている理由です。


 

アメちゃんの話

 教室では、作文を書き始めてもらう前に、生徒ちゃんたちにアメちゃんを配ります。一人一個。なにか特別なことがあったときにはもう一個。一生懸命資料を読んで、たくさん意見を言ってもらったあとで配ります。ささやかなご褒美です。


 ときどき、このアメを、お母さんにたのんで買ってもらうという話を聞きます。お母さんと二人で、お菓子屋さんでさがしたという話を聞きます。帰り道、お菓子屋さんで買って帰ったと言われることもあります。教室で配られるのと同じものがいいのだそうです。教室で配るのは、ソーダ味のアメ、ミルク味のアメ、カフェオレ味のアメです。


 この間は、ソーダ味のアメをさがしたという話を聞きました。買って帰ってみたら、同じ味ではなく、がっかりしたそうです。教室のアメのメーカーはどこかとお母さんに聞かれました。ソーダ味のアメは、メーカーによって、そんなにちがうのでしょうか。教室にあるアメがおいしくて、別のメーカーのものはおいしくないのでしょうか。


 そんなことはないと思います。どこのメーカーのアメも、それぞれおいしいはずです。ソーダ味のアメも、ミルク味のアメも、どこのメーカーのものでもいいはずです。それなのに、どうして教室のアメと同じアメがいいのでしょうか。


 教室で配るアメには、おそらく、特別な意味があるのでしょう。ちょっと我慢したり、ちょっとがんばったりしたあとでなめるから、おいしいのでしょう。アメがおいしいのは、ちょっと我慢したり、ちょっとがんばった自分はえらかったなあ、と思えるからなのかもしれません。


 教室でもらうアメを食べたいと思うのは、アメを食べて、がんばれる自分を思い出したいと思うからなのかもしれません。