2014年7月16日水曜日

教養と寛容

 本格的な夏が始まりました。暑くて大変ではありますが、夏から大きなエネルギーをもらって、何かができそうな、何かがおこりそうな、そんなワクワクする季節でもあります。夏と言えば旅行!私にもたくさんの旅行の思い出があります。

 旅には過去も未来もありません。旅行者は、旅先のその土地に過去をもちませんし、またその土地に未来も予定されていません。旅は、純粋に、「今、ここ」を生きる経験なのです。だからこそ、旅は自由で楽しい!過去にとらわれることもなく、未来を憂える必要もないのです。

 ところが、私は、旅が自分以外の人たちの過去に影響されてしまうということを経験したことがあります。

 ずいぶん前のことになりますが、春先のオランダを旅行しました。連れと二人だけでまわる、いわゆる個人旅行だったので、現地で見つけたツアーの観光バスに乗って、キューケンホフ公園にチューリップを見に行きました。そのときのことです。

 バスに東洋人は私たち二人だけでした。すると、観光バスのガイドが、私たちを終始無視するのです。ガイドは、おそらく当時60歳は超えていたと思われる年配の男性で、英語、ドイツ語、フランス語をたくみにあやつり、乗客を巻き込んで冗談を言いながらガイドをするのですが、私たちとは目も合わせません。

 とても不愉快かつ悲しい気分で帰国し、私は、通っていた大学院の文化人類学の先生に質問してみました。「旅先のオランダで嫌な思いをしたのですが、オランダ人は日本人が嫌いなのですか?」先生は、「第二次世界大戦のときに、オランダ領だったインドネシアを占領しましたからねえ。日本人を嫌いなオランダ人はいるでしょう。」とお答えになりました。

 「こう言ってはなんですが、そのとき、そのガイドがさかんに話しかけていた乗客の女性たちは、あんまり教養がなさそうで、品のいい感じではなかったんですよ。」と私が言うと、「そりゃそうですよ。教養というのはそういうものなんですから。教養というのは、そういう偏見をなくすために身につけるものなんです。」と先生はおっしゃいました。

 大学院と名の付くところに在籍していながら、「教養」ということについて、あらためて考えたこともなかったのですが、なるほど、そうだったのですね。このときの先生のお言葉は深く心に刻まれ、長く私を導き続けてくれました。

 オランダ人バスガイドの態度は、単なる人種差別だった可能性もあります。ですが、いずれにしても、ある種の偏見が彼にそのような態度をとらせたのです。彼はきわめて主観的な感情を、そのまま態度にしてあらわしてしまっていたのです。残念ながら、それを知性的な態度と言うことはできません。

 教養とは、社会のさまざまなことを理性で理解することによって、主観的な感情や感覚を留保するために身につけるものです。異なった人、異なった文化に接する際に偏見をもたないためには、相手のことについて正しく理解する努力をしなければなりません。教養は寛容を生みます。寛容は他者との共存のために、なによりも大切な心がけです。

* 「教養」について教えてくださった先生は、当時、文化人類学の第一人者でいらっしゃった綾部恒雄先生です。残念ながらすでにお亡くなりになりましたが、先生の著書を読むことはできます。今考えると、先生のお答えは、いかにも文化人類学者らしいものです。異文化理解のための本として、参考書を一冊以下にあげます。

『文化人類学の名著50』、綾部恒雄編、株式会社平凡社、1994年4月。

http://www.ko-to-ha.com/

 

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