先日は、教養を身に着けることが寛容さを育てるということを書きましたが、「寛容」という言葉について、そのとき思い出したことがあります。英語には、日本語で「寛容な」と訳される言葉が二つあるということです。tolerantとgenerousです。
もともと英語には、ゲルマン語から来た言葉とラテン語から来た言葉とがあり、同じような意味を持つ二つの言葉が何組も存在します。torelantとgenerousもそのような言葉で、どうやらgenerousのほうがラテン語由来のようです。
私がtolerantとgenerousの違いについて考えることになったのは、英会話を習っていたときのことです。当時の私の先生は、大学を卒業したばかりの若い黒人の女性で、メジャー(専攻)が何であったかは忘れてしまいましたが、マイナー(副専攻)が文化人類学で、日本文化を学んだということでした。
先生は、黒人であり、女性でもあったので、差別意識ということに敏感だったのかもしれません。私との会話の中でも、ときどき差別についての話題が出ました。たとえば、「黒人の場合、スポーツやエンターテインメントのカテゴリーの中で話題にされ尊敬されても、決してintelligentと言われることはない。」などと言っていたのです。
そんな先生と、あるとき、このtolerantとgenerousの違いについて話し合うことになりました。先生は、tolerantのほうが使われる状況として、こんな例をあげました。「レストランで、白人の紳士が一人で食事をしているところに、黒人が来て近くに座る。白人の紳士は「ちょっと嫌だな」と思ったけれども、そんなそぶりは見せずに、普通に食事を続ける。そんなときに使うのがtolerantよ。」
その白人の紳士は、私のようなアジア人が行っても、同じようにtolerantな態度をとるんだろうな、と思ったら、少し複雑な気分になりましたが、なるほど、toleranceとは、相手のために、本音を隠して我慢して見せる寛容さなんだなと合点がいきました。そういえばtoleranceを辞書で引くと、「我慢」という訳語も出ています。
では、generousはどうなんでしょう?英語の先生は、「無理しなくても受け容れられることよ!」と明快でした。本当は嫌だけどそれを態度に表わさないのではなく、そもそも嫌だとも思わないのがgenerousのようです。
「じゃあ、イエス・キリストはどっち?tolerant?それともgenerous?」私は聞きました。「もちろん、generousよ!キリストはtolerantになる必要なんてないわ!」先生の答えは多くのことを暗示しています。キリストがgenerousなら、愛するということがgenerousの基本にはあるということだからです。
教養は、toleranceという意味での寛容さを身に着けるためには有効です。知識は、あらゆる立場の人たちのことを理解させ、その人たちを嫌悪することにはまったく正当性がないことを教えてくれます。しかし一方で、知識や教養、そして理性というものは、私たちのもつ感情というものを置き去りにします。
そう考えると、教養を身に着けてtolerantになるだけではなく、いずれは心からの寛容=generosityを目指したいと思うのも必然です。少しずつでも、無条件で受け容れる、無条件で愛するということができるようになっていきたいものです。
* tolerant(形容詞)寛容な ・ tolerance(名詞)寛容
generous(形容詞)寛容な ・ generosity(名詞)寛容
intelligent(形容詞)知的な
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Your today effort make your tomorrow generous.
返信削除thank you very much to make me think twice
返信削除勉強になりました。(^ ^)