ビデオで、映画「フィールド・オブ・ドリームス」を観ました。「フィールド・オブ・ドリームス」は1989年のアメリカ映画で、封切当時とても評判がよく、私も観て感動した記憶があります。今回は、実に四半世紀ぶりの鑑賞ということになります。
映画のあらすじはこうです。36才の妻子ある農場主(ケビン・コスナー)が、ある日自分の畑の中で不思議な声を聞き、その声に導かれて、トウモロコシ畑の一部をつぶして野球場を作ります。するとそこに、マイナーリーグの選手だった彼の父親にとってのヒーロー選手、”シューレス・ジョー”が現れます。
周囲からは変人扱いされ、お金のやりくりに苦労しながら、夢のかなう場所に集まってくるかつての野球選手たち(これみんな幽霊です)のために、球場を守ろうとする主人公。そんな日々の最後に、仲たがいしたまま死に別れてしまった、ユニフォーム姿の若き日の彼の父親が現れます。
不思議な声、「それを作れば彼がやってくる」の「彼」とは、主人公の父親のことだったのです。主人公は父と、暗くなった野球場で灯りに照らされ、何十年ぶりかでキャッチボールをします。シューレス・ジョーは、「不思議な声は、自分の声だったんだよ」、と主人公に告げます。
「それ(野球場)を作れば彼がやってくる」、と信じることができれば奇蹟は起こる__と、映画は言っています。映画はすばらしい!奇蹟は起こる!信じるところに奇蹟は起こる!でも、それは映画です。現実に奇蹟なんて起こるんでしょうか?
実は私は、奇蹟を簡単に信じることができるんです。奇蹟!いつでもどこでも、たくさん起こっています!本当に、信じられないことが、でも、現実に起こっているのです。なんのことかと言うと、私が長年親しんできた文芸作品などの芸術のことです。
すぐれた小説などの芸術作品に触れたとき、どうしてこんなことが書けるんだろうと、何度びっくりしたことでしょう。今回取り上げた映画も同様です。「フィールド・オブ・ドリームス」は”奇蹟”を描いていましたが、「フィールド・オブ・ドリームス」の映画自体が奇蹟なのではないでしょうか?
奇蹟は、人智を超えた力の存在を感じさせます。すぐれた芸術作品は、フィクションの形で、常に私に奇蹟と不思議な力の存在を信じさせてくれるのです。そしてフィクションとは、事実をあらわすものではないけれど、真理をあらわすものです。物事と人間の普遍性がそこには描かれるのです。
普遍的な人間の姿は心を打ちます。「フィールド・オブ・ドリームス」の、純粋に夢を追うこと、そして夢の実現という奇蹟を信じる人間の姿に、私は深く感動しました。
*フィクションの普遍性について
「詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こりうることを、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。」
(アリストテレース著、『詩学』、第九章)
『アリストテレース詩学・ホラーティウス詩論』、松本仁助・岡道男訳、岩波書店。
http://www.ko-to-ha.com/
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