2014年4月26日土曜日

大人の影響 その2

 今回も、しらずしらずのうちに、大人が子どもに与えてしまう影響について書きます。前回とはまたまったく違うかたちで、子どもは大人の影響を受けているということに気づかされました。

 対話のテーマは「そんなときどうする?」でした。

 急な切り立った崖が向かい合わせにあります。橋はかかっていません。両方の崖の間は、とても飛んで渡れる長さではありません。10メートルくらいはあるでしょうか?それぞれの崖の上には子どもが一人ずついて、二人はお互いのところへ行きたいのです。「そんなときどうする?」


 女の子の作文です。

 
 「 例えば、家が近かったら、はしごなど、わたれるような長いものをもってくるといいと思います。でも、とどかなかったら、とっても長いロープをもってきて向こうがわの人にわたして、向こうがわの人が、ロープを体にまきつけて、とべばいいです。理由は、おちそうになったら、もう一人の人(向こうの人がおもかったら、他の人にも手伝ってもらう)が引っぱればいいと思います。それでもだめだったら、遠回りをすればいいです。」

 作文はこれで終わりにはなりませんでした。ここから、女の子の本当の意見が始まります。

 
 「でも、私は、ロープなんかじゃあぶないので、遠回りをしたいなと思いました。そうしたら、2人とも安全に出会えるからです。なぜなら、向こうの人の体重がおもかったら、ロープが切れてしまって、そのまま、おちてしまったら死んでしまうからです。あともし、おちて死んでしまったら、「ロープでわたろう。」と言った人のせきにんになって、大へんなことになってしまうからです。だから、遠回りをした方がいいなと思いました。」

 「おちて死んでしまったら、「ロープでわたろう。」と言った人のせきにんになって、大へんなことにな」る…この箇所を読んで、私はギョッとしました。こんなことを子どもが言うなんて…。これはいったいどういうことなのでしょうか?

 責任問題になるから、危ないことはしないほうがいいと女の子は書きました。そのこと自体はまあ、悪いこととは言えません。ある意味そのとおりです。でも、何かひっかかるものがあります。こういうことを子どもが考えるということが、なんだか私を嫌な気分にするのです。

 
 こんなことを子どもが自分で考えるでしょうか?責任問題を避けるというのは、安全志向のことなかれ主義です。複雑な利害関係を考慮して、自分の身を守るためにとる方策です。小学生の子どもが本来もっている発想とは思えないのです。

 おそらく、女の子のまわりの大人の誰かが、何かの機会にそのようなことを言ったのだと思います。誰かを傷つけるようなことをしたら、責任を問われるから、そういうことはしないように、と言ったのではないでしょうか?

 くりかえしますが、誰かを傷つけないようにすること自体は悪いことではありません。でも、子どもが責任問題について心配することには、どこか違和感をおぼえます。問題は、誰の責任かということではなくて、みんなが傷つかないようにするにはどうしたらよいかということではないでしょうか?

 ものごとを解決するためには、自分もその当事者であるという意識が必要です。他人事になってしまったら、問題を解決しようという気持ちも薄れ、真剣に考えられなくなってしまいます。責任を逃れて、その問題から遠ざかるよりも、問題の本質的な解決法をみんなで考えられたらよいなと私は思います。

 
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2014年4月19日土曜日

大人の影響

 

 対話の授業は、生身の人間同士、同じ時間、同じ場所を共有しておこないます。心と体をもった、生きている人間同士がひざを突き合わせて、同じテーマで考え、話し合うのです。そこが今どきのSNSなどのコミュニケーションとは違うところです。

 

 私たちは生きているので、その日によって当然コンディションが違います。体調が悪いときもあれば、悲しい気分のときもあります。それは子どもも同じです。子どもは大人のように取りつくろうことができないので、調子の悪いときにはうまくいきません。残念ですが、そんなときはよい話し合いができないのです。


 先日、○○くんは、入ってきたときから様子が変でした。目がきょろきょろと落ち着かず、私の話を聞いているときも上の空。もぞもぞと体を動かして、集中力がありません。テーマは前回の続き、「そんなときどうする?」でしたが、前回ほどの熱意が感じられません。


 前回○○くんは、テーマを聞いたとき、にやにやと笑いながら、「おもしろそう!」と言ってくれました。そして終始みんなで笑いながら、ときには大笑いしながら話し合ったのです。ところが、今回はニコリともしてくれません。質問をすると答えてはくれますが、やっぱりどこか視線が定まりません。

 

 当然ながら、今回はあまりよい作文を書いてはもらえませんでした。○○くんは、いつもは大人顔負けの鋭い言葉を織り込んだ作文を書いてくれます。「まあ、こんな日もあるかな?」と私はあきらめました。


 さて、実は、ことの真相が後で判明しました。○○くんがその日不調だった理由がわかったのです。○○くんは、その日出がけに、お母さんと一悶着あったというのです。お母さんは○○くんに、「帰りのお迎えには行かない!」と宣言されたそうです。


 ○○くんのお母さんの名誉のために言いますと、やさしいお母さんはそう言いながら、その日も○○くんをお迎えに来てくれました。お母さんが○○くんを見捨てるはずはないのです。でも、○○くんは、お母さんにお迎えに来てもらえないと思って、その日の授業が上の空になってしまいました。


 大人もそうですが、子どもは特に素直なので、その日の気分が直接成果にあらわれます。子どもにその能力を十分に発揮してもらおうと思ったら、まず、よい気分になってもらわないといけません。よい気分とは、幸せな気分ということです。


 そして幸せな気分とは、不安のない、満ち足りた気持ちのことです。お母さんをはじめとした大人に見守られ、信頼されているという感覚です。自分のことを信じてもらえ、ありのままの自分が受け入れられていると感じていると、子どもはもてる才能を最大限発揮します。


 子どもを幸せな気分にするコツがあります。それは、お母さんはじめ、まわりの大人が幸せな気分でいることです。子どもはお母さんが大好きです。お母さんが幸せでいてくれることが何よりもうれしいのです。


 お母さん、もうお気づきですよね?そんな子どもをもったことが、この上ない幸せだということです。


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2014年4月14日月曜日

絵画と言葉

 


 先日久しぶりに美術展に行きました。ラファエル前派展をやっていたのです。

 ラファエル前派とは、19世紀のイギリスで、革新的な絵画表現を追求した一派です。日本の少女漫画にも多大な影響を与えたと言われ、物語性の強い、耽美的な表現で有名です。

 
 

 ラファエル前派の絵画の中でもっとも有名なのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィリア」でしょう(写真)。私は、高校の美術室の壁に貼られていた「オフィリア」にはじめて出会って以来、大学時代にロンドンのテートギャラリーで、そして日本では、今回も含めて2回と、計3回見ることができました。

 

 今回は、事前に美術展を紹介するテレビ番組を見てから見学に行ったのですが、それはそれで大変興味深かったです。なかでも、解説をしていた大学の先生が、ラファエル前派の絵画の特徴を
一言で言い表しておられたのですが、またしても自分と自分の傾向について悟らされてしまい、苦笑してしまいました。

 
 

 その先生によれば、イギリスというのは絵画の国と言うよりは、文学の国なのだそうです。だから、イギリスの絵画は物語性が強く、ラファエル前派も、シェイクスピア作品に題材をとったり、絵画自体に社会性を織り込んだりして、何かの意味をもたせる傾向があるということでした。

 

 
 「ああ、これだったのか。」と、腑に落ちた感じがありました。ラファエル前派の絵画自体はもちろん、世界が認める立派な絵画です。私の実家にあった世界美術全集にも、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「受胎告知」の絵が載っており(今回の美術展にも来ていました!)、子どものころよく見ていました。

 
 

 でも私には、ラファエル前派の絵画は、絵画としてはどこか正統ではないように思えてしかたなかったのです。なるほど、ラファエル前派の絵画は、絵画としては、物語性が強すぎる、説明が多すぎる、意味がありすぎる、だから文学に近い。ラファエル前派の絵画は、絵画でありながら、おしゃべりで、画面から言葉が聞こえてくるのです。


 「絵画はこうあらねばならない」という基準があるわけではありません。ですから、おしゃべりな絵画は、それはそれでいいと思います。ただ、絵は、絵くらいは、何も考えないで見たいかなあと思うわけです。意味なんか考えずに、ただ「美しい」とか、「かわいい」とか、「おどろおどろしい」とか、「悲しい」とか、「好き」とか、「嫌い」とか、感覚で感じたいと思うのです。


 そう思いながら、真っ先に思い出すのがフランスの印象派の絵です。そういえば、印象派の絵を見ながら、意味は考えていなかったかもしれません。まさに「印象」なので、柔らかい暖かい感じがするとか、けだるい感じがするとか、五感にうったえるものを感じながら見ていました。


 ラファエル前派の絵画は意味を考えさせます。これが、私がラファエル前派を好んでいた理由だったのです。やはり私はよくよく考えることが好きで、言葉と物語が好きなんだなあ、と実感させられました。

 

 さて、冒頭で、ラファエル前派は日本の少女漫画にも多大な影響を与えたと書きました。ということは、日本の少女漫画には、画期的なものがあるということになります。それは、絵=イメージと意味=言葉との融合がそこにあるということです。何を大げさなことを、と言われるかもしれませんが、文学と同時に少女漫画にもどっぷりとつかった経験のある私には、このことは世界に発信すべき一大文化革命だと思うのです。


 今回は、実は、子どもと美術館をテーマに書くつもりでした。その導入に、先日行った美術展の話を使うだけのつもりでしたが、思いのほか長くなってしまいました。美術展には子どもは一人もいませんでした。平日の昼間でしたが、春休みでもあったし、子どもの姿がまったくないというのは少しさみしいです。


 いずれ本題の子どもと美術館の話について書いてみたいと思います。


 
 

 
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2014年4月7日月曜日

そんなときどうする?その2

「そんなときどうする?」の2回目です。

山に登ります。いろいろな登り方があるけど、あなたならどうしますか?

アリー塾長     :   さあ、みんなならどうする?いろいろあるねえ。自分の足で、クネクネと曲

                がった道を、ゆっくりゆっくり歩いていく?それとも、バスや車に乗って行
                く?ロープウェイで行くってのもあるねえ。あ、馬に乗って行ってもいい
                ね。それとも、一気にヘリコプターで頂上を目指す?

みんな       :    うーん…?

女の子       :    私、ロープウェイ!

アリー塾長     :    ああ、○○ちゃんは、高いところから下を見下ろせる乗り物が好きだった
                 よねえ。観覧車も好きだったんだよねえ?  

女の子       :    うん!!

アリー塾長     :    高いところ、怖くない?

女の子       :    怖くない!

男の子       :    ぼくはゆっくり歩いて登っていく。

アリー塾長     :    どうして?

男の子       :    ゆっくり歩いていくと、いろんな景色が見られるから。

アリー塾長     :    いろんな景色?

男の子       :    そう。100メートル登って下を見たときの景色とか、(山の)半分まで登っ
                 て見たときの景色とか。ゆっくり、お茶を飲みながら(そういう景色を)見
                 る。

アリー塾長     :   景色を見ながら山に登るのは楽しそうだね。

男の子       :    うん!あ、それから、道がどうして曲がっているのかわかった!

アリー塾長     :   

男の子       :    南側、北側、東側、西側、全部の景色を見るためだ!

アリー塾長     :   なるほど。道が山をグルグル巻くように、らせん状に、つくられているの
                は、いろいろな景色を見るためだったんだね。


* 対話の後、男の子の書いた作文にはちょっとびっくりしました。

「ぼくなら、ゆっくり歩いてのぼっていきます。」
「それに(景色がゆっくり見られることのほかに)歩いてのぼるとちょうじょうまでのぼれてうれしいし、体力をつけられるからです。」
「山にのぼるとげんかいをこえてのぼると思うので、心が強くなるからいいんじゃないかなと思います。」


アリー塾長の一言

 
 子どもは大人が思っているほど子どもではないのではないでしょうか?子どもは大人と対等であるという以上に、子どもは大人より、本当はよっぽどよくわかっているのではないかと思わされることがよくあります。

 今回の男の子の作文にも驚かされました。男の子の「体力をつけられる」、「げんかいをこえて」、「心が強くなる」という言葉には、厳しい向上心があふれています。男の子は、体こそまだ大きくないけれど、心はすっかり大人のようです。

 
 男の子は、サッカーをやっています。サッカーをしながら、自分の限界をこえて、心を鍛えているのかな?○○くん、かっこいいです。「男」です!


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2014年3月28日金曜日

そんなときどうする?

 生きているといろんなことがおこります。いろんな場面に遭遇します。
そんなときには考えなければなりません。決断しなければなりません。

 

 そんなとき、あなただったらどうしますか?
今回はシリーズで、いろいろな場面を想定し、自分だったらどうする?と話し合いました。

その1  種類も大きさも違うくだものが4つあります。そこに子どもが5人。
      どうやって分ける?

アリー塾長    :    さあ、どうしよう?
                (みんなの手がいきおいよく上がります。)

女の子       :    ぜんぶのくだものを、小さく切って、5人に同じように分ける。

男の子       :    ぼくも同じ。

アリー塾長    :    公平に分けるんだね?でも、もっといろんな分け方があるよ。
                じゃんけんで、勝った人から好きなものを選んでいくってどう?

女の子       :    そうすると一番負けた人が食べられなくなる。

アリー塾長     :   そうだね。でも、一番勝ったら、好きなものをたくさん一人で食べられる          
                 
                よ。

女の子       :    負けた人には私のを分けてあげる。

アリー塾長     :   ○○ちゃんはやさしいね。でも、そういうのはなしにしよう。それに、○○ちゃ     
                んが負けても、だれも分けてくれないかもしれないよ。みんなの納得のい
                く方法で分けないと。

 
                あ、それから、こういうこともあるかもしれないね。子どもの中にジャイア
                ンみたいな強い子がいて、かけっこをして、一番勝った人から好きなもの
                を選んでいこうって言ったらどうする?その子は一番大きなスイカをひと
                り占めするつもりなんだよ。

男の子       :   そうしたらぼくは、その子よりもっと速く走って、前に行ってじゃまをする! 


アリー塾長     :   そんなことをしたらけんかにならないかな?
                けんかをしちゃあ、やっぱりだめだよ。

女の子       :    話し合えばいい!!みんなで話し合って決めればいい!

アリー塾長     :   そうだねえ、○○ちゃん、いいことを言うねえ、本当にそうだねえ。
                みんなで話し合えばいいよねえ。

*  対話の後で女の子が書いた作文です。

「わたしなら、「みんなで話し合おう。」と言います。」

「(5人の中に)、わがままな人がいたとします。その子が「ぼく(わたし)は、このくだものじゃなきゃいやだ。」と言ったら、けんかになってしまいます。」

「その子に「みんな同じ数だけ分ければ、おいしいよ。」とおしえてあげればいいです。」


アリー塾長の一言

 
 
 「みんなで話し合う」は、これ以上ない大正解です。私がこの塾を主宰している理由も、この「みんなで話し合う」を存分に学ぶためです。

 ですが、現実に目を移してみると、この「話し合う」がとても難しいことに気づくでしょう。残念ながら世界には、まだまだ力をつかって欲しいものを手に入れている人が多いのです。

 そんな人にはどう話しかけたらわかってもらえるのでしょう?スイカをひとり占めしようとするジャイアンみたいな人には、なんと言ったらよいのでしょう?

 実は、「話し合えばいい」と言った女の子は、自分の気持ちや考えを人に伝えるのがあまり得意ではありません。とても気持ちのやさしいきちんとした子なのですが、まず相手のことを思いやって、自分のことは後回しにしがちです。

 女の子は、人を傷つけたり、人に傷つけられたりするのが怖いのでしょうか?彼女には、世界には、あなたの気持ちをわかってくれる人がかならずいるよ、あなたの考えに共感してくれる人がかならずいるよ、と言ってあげたいと思いました。

 話し合うときに一番大事なのは、実は気持ちなのかもしれません。そうすることが正しいからそうしよう、と言うのではなく、そうするとみんながいい気分になるからそうしよう、と言ったほうがいいのではないでしょうか。

 くだものを公平に分けると、みんな幸せな気分になって、ひとり占めして食べるよりずっとおいしくなるよ、と、ジャイアンみたいな子には言ってあげるといいかもしれません。そのときには、みんなで仲良くくだものを食べたいという気持ちを、一生懸命に伝えるといいでしょう。

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2014年3月20日木曜日

大人の自由、子どもの自由

 野生動物を自然に帰すお話の最終回です。

今回は、カモのヒナが大人になって卒業していきました。

カモは大人になって、これからは自由に生きていくことができます。

 カモの話から、「自由」がテーマになりました。



* 自由ってなんだろう?人間の場合、自由なのは大人?それとも子ども?

(今回は、3年生の男の子と女の子に、6年生のお姉ちゃんが議論に加わっています。)

アリー塾長     :     カモは大人になって、自由に生きていけるようになったけど、人間の

                  大人は自由かな?

6年生             大人は自由。大人は子どもが行けないような遠い所へも自由に行け
                  る。

アリー塾長     :     遠いところ?

6年生        :     海外とか。お母さんは、ムーミンが好きだから、北欧に行った。
   
                  サンタクロースのふるさとにも行きたかったって言ってた。

アリー塾長     :     ○○ちゃんも海外に行きたいの?


6年生        :     行きたいです。


アリー塾長     :     海外のどこに行きたい?


6年生        :     イギリスとか。お母さんの行った北欧にも行ってみたい。


アリー塾長     :     イギリス?いいねえ。どうしてイギリスに行きたいの?

6年生        :     インテリアに興味があって、建物とかも見てみたい。
   
                  それから、日本でいう天皇陛下みたいな人がいるのも興味がある。

アリー塾長     :     ああ、王室ね?女王様がいるんだよね。
 
                  いいねえ、いつか行けるといいねえ。

アリー塾長     :     さて、大人は行きたいところに行けるから自由、ほんとかな?
   
                  大人が自由じゃないときはないかな?
 
 

                  たとえば、お父さんはお仕事に行かないといけないよね?

女の子       :      お父さんは、朝早くから夜遅くまで働いている。

アリー塾長     :     そうだねえ。でも、○○ちゃんも、学校に行かないといけないよねえ。

女の子       :      学校には短い時間しかいなくてもいい。
 

                  そのあとは友だちと遊んだりできるから自由。
                  

                  子どもには仕事がない。

アリー塾長     :     学校では勉強しないといけないでしょ?

女の子       :      うん。おぼえなきゃいけないことがたくさんある。

アリー塾長     :     だったら子どもも自由じゃないときがあるよね。

生徒全員      :     (うなずく)


アリー塾長の一言

 
 どうやら、人間の場合、大人にも子どもにも、自由と不自由があるようです。そして、自由とは、自分のしたいことができることのようです。大人だったら自分の行きたいところ、たとえば海外へも行けること、子どもだったら、お友達と自由に遊ぶことです。
 


 対話の後に6年生のお姉ちゃんが書いた作文は、なんだかすてきでした。

「(大人の自由と子どもの自由を比較したあとで)自分は大人がいいなと思いました。お酒も飲めるのでいいなと思いました。早く大人になりたいという事ではなく(、)大人の雰囲気をあじわいたいなと思いました。」

「これからも今を楽しく過ごしていって、大人になったら子供の時よりも楽しい生活を送っていきたいです。」

 6年生のお姉ちゃんは作文を書くとき、「雰囲気」という言葉を、辞書で確認しながら書きました。言葉は正確につかいたいので、とてもよい習慣が身についてきたなと思いました。

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2014年3月17日月曜日

大人になるということ

 今回も、親とはぐれたり傷ついたりした野生動物を、保護したのちに、自然に帰すというお話の続きです。主人公の野生動物は、カワセミでした。

 
 
 

 子どもの野生動物を保護したときは、人間が親の代わりになって、育てて、大人にしてから自然に帰さなければいけません。


 
アリー塾長     :     大人になるってどういうこと?

女の子        :     自分の力で生きていけるってこと!どこかに書いてあった。

アリー塾長     :     そうだねえ、そうだったねえ。
                  じゃあ、自分の力で生きていけるってどういうこと?

女の子        :     自分でエサをとれる。

アリー塾長     :     そうだねえ、まずそれだよね。自分でエサをとれなかったら、おなか
                  をすかせて死んでしまうよね。
                  ほかにはないかな?

男の子        :     自分で自分を守ることができる。

アリー塾長     :      ああ、よく気が付いたねえ。自然の中には危険がいっぱいあるよ   
                  ねえ。自分よりもっと強い生きものに食べられてしまうかもしれない  
                  し、お天気だって、暑かったり寒かったりするよねえ。

アリー塾長     :     ところで、みんなは大人かな?

全員         :     違う!

アリー塾長     :     じゃあ、何?

全員         :     子ども!

アリー塾長     :     どうして子ども?

全員         :     一人で生きていけない。

アリー塾長     :     そういうことだよね。
                  お母さんと、お父さんがいるから、生きていけるんだよね。
          

女の子        :     お父さんが働いて、お金を稼いできてくれるから、生きていける。

アリー塾長     :     お父さんだけ?お母さんは?

男の子        :     お母さんは、ご飯をつくってくれる。

アリー塾長     :     それだけ?

男の子        :     洗濯してくれる。

アリー塾長     :     あと、お掃除もしてくれるよね。

男の子        :     (うなずく)


* 対話の後で女の子が書いた作文です。

「大人になるためには(大人になるということは)、カワセミの場合、一人で、エサをとって、てきから自分で身を守るということです。」

「人間の場合は、自分ではたらいて、ごはんをつくったり、そうじをしたりすることです。今は、お母さんや、お父さんがやってくれているから、大人になったら自分で、できるかなと思ったけれど、
がんばりたいです。」

「わたしも、カワセミなどの、野せいの動物は、野せいに帰してあげたいなと思いました。なぜなら、ずっと人間にたよっていたら、自分でえさもとれないし、もしてきがきても自分でにげられないから、もしかい主が、病気とかで死んでしまったら、てきから身を守れなくて、すぐに死んでしまうからです。」


アリー塾長の一言


 女の子の作文は、つたない表現ながら、今回の授業の内容を要領よくまとめています。テーマの理解と再構成はよくできているといえるでしょう。

 

 ただ、対話のときもそうでしたが、もう少し話が深まるとおもしろかったなあと思いました。たとえば、カワセミにとって、自然に帰ることは幸せだったのか?とか、自然に帰って、自分の力で生きていくことは、自由を意味することなどに話をもっていければよかったと反省しました。


 このような動物のテーマでは、動物を擬人化して、生徒に動物に感情移入してもらうと話が深まるのかもしれません。


 
 なお、議論を深めるヒントは、女の子の作文の最後にありました。「どうしてカワセミを自然に帰すのがよいのか?」という質問をすればよかったのです。


 子どもは、疑問が増えれば増えるだけ考えるようになります。子どもには、大人が良質の質問をたくさんしてみる必要があります。私自身が、今後の課題を与えられた授業でした。


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